日曜日

ゆっくりとまぶたを開いた私に聞こえてきたのは、寄り添うように眠っている白猫の静かな寝息と、わずかに動くと聞こえる鈴の音色だった。 

昨日は結局屋根に登った後、白猫は静かに眠り始めてしまった。いろいろ話したいことがあったのだが、気がつけば私も眠りに落ちていた。 

何度か目を覚ましたのだが、すぐそばで眠る彼女はピクリとも動かずいつまでも気持ちよさそうに眠り続けていたのだ。そんな彼女につられるように、私もぐっすりと寝てしまった。 

彼女がようやく目を覚ましたのは、私が何度目に目覚めた時だろうか。日はとっくに落ち、月すらも沈もうとしている時間帯になって、ようやく目の前の白猫は目を開き、鈴の音をたてながら優雅に身体を伸ばしていた。 

「あ、おはよう、ございます…」 

「あら、おはよう。まだいたのね」 

「はい…あの。お話、したくて」 

勇気を出してそう告げた私だったが、白猫は何を返すわけでもなくのんびりとした足取りで屋根を移動し始めた。屋根から屋根へ。二軒ほど家を渡ってからちらりと確かめるようにこちらを振り向く。 

「あ、私も行きます!」 

思わずそう叫んだ私は、もう怖さなど忘れて手足にしっかりと力を込めて飛び跳ねた。家から家へ跳んで渡るなんて簡単だ。むしろ体が軽くなって気持ちいいくらいだ。すぐに白猫の隣に移動した私は、優雅に歩く彼女の横について歩き始めた。 

「何しに行くんですか…?」 

とりあえず付いてきたは良いものの、白猫自身のことも知らない私は恐る恐る尋ねてみた。 

「ユキよ。…みんなそう呼ぶわ」 

「ユキ…?あ、お名前…はい!ユキさん!」 

名前を呼ぶだけでも嬉しくなった私をいぶかしげに見つめた彼女は、家を渡るのをやめ屋根を降りて行ってしまった。いつのまにか上っていた朝日にまぶしく目を細めた私はすぐに追いかけ、ユキさんを見つめて勝手に話し続けた。 

「私、急に今みたいになってて…でも元は猫じゃないんです」 

「…そう。名前は?」 

「元は人間で!…って、名前?」 

昨日目を覚ましたようなゴミの置いてある路地裏に着くと、ユキさんはこちらをじっと見ていた。 

「…あ、私の、ですよね……あの」

私は、自分の名前があまり好きではない。 
学校でいじめられる原因の一つでもあるし、誰も呼ぶことはないその名前が自分のことだとはなかなか思えなかった。 

でも、ユキさんには呼んでもらえるかも。と勇気を出した私は小さく名前を告げた。 

「音に子どもで…オトネっていいます」 

女なんですけどね、と少しうつむきながら呟いた私に返ってきたのはユキさんのしっぽだった。 

「いたっ…!……え?」 

突然しっぽで叩かれた意味も分からず、思わず戸惑って顔を上げた私を、ユキさんは気にもとめないように、どこかのお店の裏口を爪でカリカリとひっかき始めた。

「オトネは名前が嫌いなの?」 

「えっ、だって……まわりからはオトコだって…女の子なのに可愛くもないし、名前だってオトコみたいだって言われるから…」 

「あら、そう」 

思わず暗くなってしまった私だったが、ユキさんはどこ吹く風でドアをひっかき続けた。 

少しするとそのドアが開けられ、中から優しそうなおばあちゃんが姿を現した。手には小さな銀の皿。目の前に置かれてから中身を覗き込むと美味しそうなご飯とその上にかつお節が乗っかっていた。皿を置くためにしゃがんだおばあちゃんは、私を見ながら困ったように頬に手をあてた。 

「まあまあ。今日はお友達が一緒なのね?ごめんなさいね、一人分しか用意してなくて…。仲良く分けられるかしら」 

ユキさんはちら、と私を見ると少しだけスペースを空けてご飯を食べ始めた。二口ほど食べてからまたこちらを確認するように顔を向けてくる。 

「あ、私も食べます…!」 

くう、と小さく音を立てたお腹の音を隠すように静かに近づき、恐る恐る口をつけてみる。程よく冷えたご飯と鰹節は質素だったが、久しぶりの食事だったせいだろうか、とてもおいしく感じられた。 

勢いよく顔をさらに突っ込んで食べ始めた私を見ながらため息をついたユキさんは反対側から顔を皿につけ、ゆっくりと食べていく。 

「よかった、仲良く食べていきなさいね」 

おばあちゃんがそう言葉を残し家の中に戻っても、私は夢中でご飯に口をつけ続けた。 

結局ほとんど私が食べ切ったようなものだったが、綺麗に皿が空になるとユキさんは陽のあたる塀へと身をひるがえらせ、静かに丸まった。 

私もご飯で少し重くなった身体を跳ねさせると、ユキさんのそばで真似をするように身体を丸めてみた。陽の光がぽかぽかと身体を温め、自身の毛で柔らかくとても心地が良さそうだ。これならばいつでも眠りに落ちてしまいそうだ、とあくびをするために口を開いたとき、ユキさんがこちらも見ずに言葉を発した。 

「オトネ、名前が嫌いなら変えちゃえば?」 

「……えっ?」 

名前を変えるなんて唐突な意見に、私は目を見開いてユキさんのいる方を向いた。ユキさんはどこ吹く風で大きくあくびをしながら寝心地のいい場所を探すように自身の前足の中でもぞもぞと顔を動かしている。 

「あたし達は野良猫よ。名前が気に入らないなら変えちゃいなさい」 

「野良猫…そっか……!」 

どういうわけだか猫になったらしい私は、今は野良猫。ユキさんの言うように気に入らない名前なんて変えてしまえばいいんだ!静かに寝息を立て始めたユキさんの横で、私はいつまでも自分の名前を考えていたのだった。

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(つづく)