火曜日
ゆっくりとまぶたを開いたとき、私をのぞきこんでいるユキさんが目に入った。
「あ、おはようございます」
おはよう、と軽く返してくれたユキさんはいつから私を捉えていたのかわからない瞳を瞼に隠し、自身の腕の中へと顔を埋めた。チリン、と微かに鈴の音が鳴った。
「ユキさん、あの…少しお話ししたいんですけど…」
以前の私では考えられない程に勇気のいる発言だったが、ユキさんの返してきた反応はチラリとこちらを一瞥するだけだった。
「あの、お話…」
昼まで寝ていたとはいえ寝起きにわずらわしかっただろうか、とユキさんの真似をして顔を前足に埋めようとしたとき、こちらを見ることもなくユキさんは言葉を投げかけてきた。
「話すんじゃないの?」
その言葉に慌てて顔を上げた私は、見ていないのを分かっていながらも何度もうなずいた。
「はいっ、お話、したいです!」
明らかに大きすぎる声で返事をすると、ユキさんは鬱陶しそうにしっぽをパタパタと動かし、鈴の音で私を急かした。
猫がよくやる動きだったのかもしれないが、その動きと音に前から引っかかっていた私はたっぷり何分もかけて言葉を考えて、ゆっくりと口を開いた。
「私、人間なんです…。でも、気がついたら猫になっていました」
現実味のない話かもしれないが、そもそも私からしてみたら猫になって猫と話しているのだ、そんなことで笑われたところでかまいはしなかった。
「ママもみんなも私のことが嫌いだから…私もそんな私が嫌いで…。死んじゃえば楽になるのかなって思って…それで、次に気がついたらこうだったんです」
「………………」
必死になって言葉を紡いだ私を、ユキさんは肯定も否定もせずに一瞥をした。
そんな当たり前のことでも。自分に向かい合ってくれたことが嬉しくて、緩む頬を前足で隠しながら、私はこの一週間で二度目の大きな勇気を振り絞った。
「……ユキさん、ユキさんは…あの、いつもの白猫さんじゃないですか…?」
「だから、あなたも白猫なのよ?」
「あの…そ、そうじゃなくて…」
もどかしい。
うまく話ができない私が。
いつも、あと一歩の勇気を振り絞れない私が。
癖のようにうつむいた私だったが、目に入ってきたのはいつもの非力な小さな手のひらではなく、真っ白な毛に覆われた肉球で。
元の姿よりはるかに小さいであろう自分の手は、大きな勇気をもたらしてくれた。
乾いた喉を震わせながら、私は再び大きな声を張り上げた。
「ユキさんは…私の、唯一の話し相手だった…あの白猫さんじゃないですか…?」
うなずくわけでもなくただひたすらにじっとこちらを見てきたユキさんの表情は、猫のせいだろうか、全く何の感情も伝わってこなかった。
「私、私…オトネです…!いっつもベランダで…コンビニのお弁当と、猫用の缶詰を置いて待ってたんですっ!そのしっぽの鈴も、私が無理矢理つけちゃって…わかりませんかっ?」
「…さあ、あなたは今、猫だしね。野良猫はいちいちそんな相手のことまで覚えてる余裕はないのよ」
ぴしゃりと言い切ったユキさんはおもむろに立ち上がるとゆっくり体をほぐすように立ち上がり、またそのしっぽに付いた鈴をチリンと鳴らした。
そして周りをゆっくりと見渡してから最後に私をまっすぐに見つめ、小さく口を開いた。
「それで、あなたはオトネって名前なのね」
自己紹介はすでにしたはず。その言葉の意味は、その場ではすぐにはわからなかった。
